Cfa バックヤード ワイナリー(栃木/足利)

増子敬公(代表・ワインメーカー) 増子春香(ワインメーカー)

-Cfaさんは個性的な醸造設備をお持ちです。 

敬公 ある程度のワインのレベルを維持するためにあれくらいの設備がないと無理なのかなと考えています。ワインの品質を決めるのはブドウとよく言いますが、本当にブドウが良ければ良いワインができるかと言えばそうでもない。ブドウが良ければ良いワインができる可能性はあるけれど、ダメなワインになる可能性もある。いいブドウを作れば、あとはどんなことやってもいいワインができるんだよというのは間違い。本当に高いレベルの設備があった場合は、当然、ブドウのいいのが勝つに決まっているんですが、造る技術・設備がない時にいいブドウを持ってきても半分、ダメなワインを造る可能性があります。ワインのポテンシャル自体はブドウが決めるんですが、そのポテンシャルにどれだけ近づけるか、99%なのか10%なのか、それはやはり醸造にかかっています。

 卵形の発酵樽は、中で程よく対流が起こる

-ワイナリーができた経緯をお聞かせいただけますか。 

敬公 経緯はじつはあんまり格好良くはないんです。家業の株式会社マルキョー(ラムネ・シロップ製造)が創業67年になります。少子化等の関係もあり、ラムネの売り上げは下がっていました。その時何ができるかと考えた時に、私はワインを造ることだけは何十年かとやっていました(注・家業の傍ら、山形県、宮崎県、北海道等のワイナリーなど10社の起ち上げともにワインメーキング・コンサルティングを行ってきた)。ですので、新たにワイナリーをやろうというのは、それしかなかったということだけです。 

-ワイン造りをしようと思ったきっかけは何ですか? 

敬公 僕が子供の頃、大の大人が正月とかお酒を飲んで楽しそうに、幸せそうにしていた。お酒っていうのはそんなに美味いものなのか?と思っていました。親の目を盗んで舐めてみたけれど、とても美味しいものとは思えなかった。なんでこんなバカなものを美味しそうに飲むんだろうと思ってました。ところが、親父が長野に行って持って帰ってきたワインを飲んだ時「美味しい!」と思いました。酒の中でも美味しいものがあるんだと。当時、家業(ラムネ製造)を継ぐことが否応無しに決められていました。本来行くべきの東京農大の農芸化学、そしてやりたい醸造科学、どちらも受かったんですけど、親父には「農芸化学の方は落ちちゃった」と言って(笑)この道に進みました。 大学の後は、山梨の醸造試験場などにいたんですがやっぱり跡継ぎだということで呼び戻されてそれから数年後に地元のワイナリーを起ち上げることになりました。私の親父がそこの理事をやっていた関係でお前手伝いに行けとなりまして、ワイナリーの起ち上げに関わりました。そこでワイナリー起ち上げのいろいろなことを学び、その後、経験を活かして様々なワイナリーの起ち上げに関わることになります。家業の飲料屋さんは稼働するのは9月いっぱいまでで、それ以降何もやることがない。じゃあ、その期間はワインのコンサルタントをやろうと会社を起ち上げました。 

-ご自分でワイナリーを造ろうという気持ちは当初からなかったのですか? 

敬公 自分でワイナリーというのは夢のまた夢でした。まさか自分にできるとは思わなかった。税理士さんに「ワインを造ればいいですよ!」と言われて、あれがなかったらやっていませんでした。僕はまったく経営感覚というものを持ち合わせていないので、税理士さんが言えばそれが正しい(笑)、それに乗って動いちゃいました。銀行さんからは「足利はB級グルメで騒がれているけれど、本来は超一級の食べ物が集まる場所だった。そこを目指してください」と言われています。 

-名だたるワイナリーのコンサルタントをされてきました。Cfaさんならではのもの、というのは何でしょう。 

春香 ウチが造っているのは甲州とマスカットベリーAですが、コンサルやってるところはこれらはやってないんですね。シャルドネやピノ、メルローとかばかりをやってきました。自分達のワイナリーが出来た時入手できるブドウが、甲州とマスカットベリーAしかなかった。 

敬公 ブドウはいろいろ探しました。そして、たまたまいい農家さんに出会えた。毎年同じレベルの高品質の甲州とベリーAを持ってきてくれるんです。さすがにプロは違うなと思いました。うちはコンサルなんで、「今こうやったらいいワインができる可能性が高いですよ」「今この造り方のほうが現代的ですよ」と提案しますが、コンサルされる側はそれをなかなか実行することはありません。ですから、我々で実験的なことはやってやろうというのがあります。同じ甲州を同じ山梨のような造りで同じ甲州を造ってもここでやる意味がない。まわりのワイナリーさんから言わせれば”非常識”な造りをしています。今の日本の甲州は、フリーランを低温発酵というスタイルが基本です。それが日本の甲州のスタンダードになっている。我々の甲州は色が濃いと言われてきました。年々、薄くなってきましたが。あと、前年すごく評価されたワインでも自分としてここが改善できると思ったワインは造り方を変えるのは全然平気です。

春香 通常は何かのコンクールで賞を取ったら、その賞を取った造りでずっとやっていくものです。そうなると造り方が変えられなくなる。そこをうちは躊躇なくやっていきます。


-まさにクラフトですね。

 敬公 シャンパーニュの造り方をすごく参考にしています。彼等は搾ってキュヴェごとにいろいろ造って最後にブレンドするというやり方をする。うちの場合、キュヴェ分けするだけのブドウの量があるわけではありませんが、キュヴェを造るために酵母を全部変えています。酵母はたくさんありますよ。 

春香 今では60種類くらい。 

敬公 酵母に何々の香りとか説明書きがあるのですが、丁寧にミス無く造っていかないとその香りはでないように思います。 


-酵母の香りというのは科学的に分かっているものなんですか? 

春香 はい。試験などを重ねてでてきた結果です。その代わり「甲州」ででてきた結果ではなく、シャルドネとか主要品種のそれも最高のブドウを用いてでた結果になります。 

敬公 甲州は誰もテストしないのです。使ってみなければ分からない。同じ酵母でも、12度で発酵させるのと16度で発酵させるのと全く香りが異なります。 

-醸造技術も奥が深いですね。 

春香 最初は6種類の酵母のものをそのまま別々にリリースしたら「テロワールの冒涜」と言われました(笑)その年のおかげで、今の形が決まりました。良い酵母だけ残していって絞られてきました。 

敬公 6年やって、やっと定まってきたのが3つくらいです。これはうちの造り方、望んでいるスタイル、香りもあるし、ボディもある。それは3つですね。  

-去年から自社畑(甲州)にもチャレンジされています。 

敬公 「増子さん、それはやめておいたほうがいいよ。あんたがやってもそれは家庭菜園の延長だから。プロはプロに任せなさいよ」と言われましたが、僕もその通りだと思っています。ヨーロッパとか1000年以上の歴史があって、その中で淘汰されたブドウ栽培のノウハウを僕が1年そこらで勉強して捉えられるものではありません。


日本でワインを造る時に、日本にしかないブドウで造っていくことが大事だと思っています。そして我々はあえてハウス栽培でやります。アメリカの東海岸、日本と割合と似ていて6月9月に梅雨みたいに雨が多い。そこでどこかの大学の先生がハウスでブドウ栽培をしたら、消毒する量が75%減ったというデータが取れたそうです。そこから僕はずっと日本でのハウス栽培を追っかけていました。完全自動化でのブドウ栽培まで持っていけたらなと思っています。


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